himukoの等身大ブログ

看護師6年目/保健師0年目/十人十色/長所も短所もどっちも自分。凹の部分は誰かの凸。

わたしが病院勤務をやめるわけ①

今月、6月いっぱいで今の病棟を退職するんだけど、退職に至った経緯と気持ちを整理してみようかな

 

うちの仕事の経過として

地元で4年間看護師→保健師取得のため1年学生→クリニック勤務→病棟勤務へしている。

 

今の病院に就職して約1年数か月たつんだけど、4月までずっともやもやしてたんだよ。

最初は久しぶりの病棟で楽しみもあったしやりがいもあった

病棟勤務はブランクあって、新人の気持ちではいった

もともと仕事を覚えるとか物事の理解に時間がかかるから、覚えるまで何度も聞こうと思っていたんだが

わたしのプリセプターがまぁ・・・仕事できるけど高いレベルを求めてくる感じで、それに追いつこう頑張ろうとしてもいつもミスして。怒られるのが怖くなり相談すれば「それは自分で考えて」と言われて、確かに看護師ってのは自分でアセスメントをしたうえでリーダーに確認したり看護を実施するんだけど、どうにも考えることが出来なくなってしまっていた。

たぶんそれは、ブランクもあったんだけど

自分の経験からのアセスメントや提案、知識、行動がその病院ではことごとく的外れだったり、「は?」ていうリアクションをされて自信がなくなってしまっていた。

加えて上司とも馬が合わなくて。というか病棟の一部スタッフのモラハラパワハラまがいがまかりとおっていた。

病棟のスタッフのほとんどの人を話をするのが怖くなってしまった

話しかけるのも緊張しすぎてどもってしまったり、相手に伝わるように相談内容を頭で組み立ててから話かけても忙しいオーラ全開でおじけづいて・・

仕事のプレッシャーはどんどん高まるのに全然できなくて

その間、自分のことを責めないように責めないように必死に自分を褒めたり、してみたけど効果なし。

へとへとで帰宅しても家で機嫌よくなんてできなくて

ダンナには支えてもらっていたけどとてもプライベートが楽しい状況じゃなくなっていた。

 

そうこうしているうちに、2018年7月ごろ、適応障害と軽度うつだと診断されたわけだ。

適応障害になっている原因は仕事のプレッシャーだと思っていたから、まず師長へ相談。仕事量を減らしてもらった。それからプリセプターを外してほしいと相談。プリセプターの変更は叶わなかったけど、チームを変えてもらって物理的に顔を合わせる回数を減らすことができた。とそして、病棟のスタッフに心身状態を理解してくれる先輩看護師ができたことが大きかった。

 

仕事量を減らしたこと、プリセプターと距離を取れたこと、相談できるようになったこと

これで経過をみて、徐々に自然に笑えるようになってきた

 

それからまた少しずつ仕事量を増やしていって、一通り業務はできるようになった

 

それが2月ごろに長期休暇明けに久しぶりの夜勤があったんだけど

病棟着いたらプレッシャー感じてしまって涙が止まらなくなってしまった

深呼吸したものので全然効果なし

 

また症状がぶり返した

 

それからまた症状が落ち着くのをまっていたんだけど・・・

 

4月初め、ダンナへ怒り爆発・自信喪失となる、事件発生。

 

ここにきて、ようやく、「あ、もう仕事辞めよう。」と腹をくくった。

「もう我慢とかがんばるとかほんとにやめよう」

「背伸びするのやめよう」

「大切にしたいことを大切にできる時間をとろう」

「自分に無理させるのはやめよう」

「自分が笑顔でいれるような選択をしよう」

そんな風に思ったんだ。